

義歯を入れていない患者さんは、認知症リスクが1.9倍にのぼっています。
「よく噛んで食べましょう」という声かけは、歯科の現場で日常的に行われています。しかしその背景にある科学的根拠は、近年の研究によって想像以上に深いものだとわかってきました。
噛む行為は消化を助けるだけではありません。咀嚼運動によって顎の筋肉が収縮するたびに、頸動脈から脳への血流量が増加します。東京都健康長寿医療センター研究所の発表(2019年)では、咀嚼がマイネルト核と呼ばれる神経細胞群を活性化させ、大脳皮質全体の血流量を著しく増加させるメカニズムが解明されました。これは脳が「噛む」という刺激によって直接動かされていることを意味しています。
脳が活性化するのはどの部位でしょうか?ガム咀嚼中に最も顕著に血流が増えるのは、中前頭回および両側の下前頭回です。これらは意思決定・集中力・記憶の統合に関わる前頭前野に位置しており、まさに認知機能の中枢です。さらに、咀嚼は記憶を司る「海馬」の神経細胞の増加にも寄与することが複数の研究で示されています。
つまり噛む力を守ることが、脳を守ることです。
日本歯科衛生士会が作成した「元気なお口で認知力アップ!使い方ガイド」(茨城県歯科衛生士会)でも、しっかり噛むと唾液がよく出て脳(前頭前野)が活性化し、認知力アップにつながると明記されています。歯科従事者はこのメカニズムを患者さんへの説明に積極的に活用できます。
患者さんが「なぜ歯を残すことが大切か」に納得すると、口腔ケアへの意欲が大きく変わります。認知機能低下予防という切り口は、特に50代〜70代の患者さんに強い動機づけになります。
認知機能低下予防のリハビリというと、ウォーキングや脳トレを思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし口腔内の状態がそれと密接に関わっていることは、まだ広く知られていません。
台湾で行われた大規模コホート研究では、50歳以上の歯周病患者9,291人と健康な人18,672人を10年間追跡した結果、慢性歯周炎のある人はない人と比べてアルツハイマー病発症リスクが1.7倍高くなることが報告されています(国立長寿医療研究センター)。意外ですね。
その主犯格とされているのが「ポルフィロモナス・ジンジバリス菌(Pg菌)」です。Pg菌は歯周ポケットから血流に乗って全身を巡り、脳内に侵入します。脳内に入ったPg菌は、アルツハイマー型認知症の原因物質であるアミロイドβの蓄積を促進します。九州大学の研究(2019年)では、歯周病に罹患したマウスの脳内でアミロイドβ蓄積量が約10倍になったことが確認されています。
歯周病は「口の中だけの病気」ではありません。
これが意味することは非常に大きく、歯科従事者が行う歯周病のコントロールは、直接的な認知機能低下予防につながるということです。患者さんへのスケーリング・PMTC・セルフケア指導は、脳を守るリハビリの一形態と捉えることができます。
また、国立長寿医療研究センターの2025年3月の研究成果では、口腔ケア(適切な歯磨き・定期的な歯科健診・電動歯ブラシの導入)が認知機能低下リスクの抑制に寄与する可能性が示されています。日常の歯科処置に認知症予防という視点を加えることで、患者さんへの説明の説得力が大きく高まります。
国立長寿医療研究センター「認知機能と歯周病についての研究成果」(2025年3月)
「オーラルフレイル」という概念は、近年の介護予防・認知症対策において非常に重要な位置を占めています。オーラルフレイルとは、歯や口の機能が老化によって衰えた状態のことで、単なる口腔問題にとどまらず全身のフレイル(虚弱化)へとつながる負の連鎖の起点となります。
問題はその見逃しやすさです。「少し食べにくくなった」「滑舌が悪くなった気がする」という初期症状は、患者さん自身が「歳のせい」と片づけてしまいがちです。しかし厚生労働省のガイドラインでも、後期高齢者の質問票でオーラルフレイルのリスクが検出された場合には「なるべく早く歯科医療機関に相談することが重要」と明記されています。
つまり歯科従事者はオーラルフレイルの最初の関門です。
オーラルフレイルと認知症の関係については、咀嚼機能が低下することで食べられる食品が限られ、必要な栄養素が脳へ届かなくなるという経路も確認されています。また、咀嚼することで前頭部の血流量が増加するという効果が失われることも、認知機能の低下を加速させる要因です。
日本歯科医師会によれば、オーラルフレイル予防のための口腔体操は、唇・ほほ・舌の筋力をアップすることで唾液の分泌を促し、嚥下機能の維持にもつながります。これは専門的なリハビリ設備を必要としない、椅子に座ったままできる簡便な介入です。歯科衛生士による指導で患者さんが毎日実践できる内容であり、外来診療の中で10分程度の時間を使って指導できます。
これらは有料サービスではなく、日常ケアの延長として患者さんに手渡せる実践的なツールです。
歯が抜けてしまった後の対処を「見た目の問題」と捉えている患者さんは少なくありません。しかし義歯を使用するかどうかは、認知症リスクに直結する問題です。これが大きなポイントです。
「愛知老年学的研究プロジェクト」において、65歳以上の健常者4,425名を4年間追跡した調査では、歯がほとんどないにもかかわらず義歯を使用していない人は、歯が20本以上残っている人の1.9倍の認知症発症リスクがあることが明らかになりました(東北大学・愛知医科大学などの共同研究)。さらに、歯がほとんどなくても義歯を使用することで認知症発症リスクを4割抑制できる可能性も示されています。
義歯が認知症リスクを下げる理由は、義歯によって咀嚼機能が回復するからです。咀嚼の刺激が脳血流を維持し、認知機能の低下を防ぐという前述のメカニズムが、義歯を介しても機能するわけです。つまり、補綴治療は単なる機能回復ではなく認知機能低下予防のリハビリとして位置づけることができます。
義歯管理が条件です。
ただし、義歯を入れるだけでなく、適合した義歯をきちんとメンテナンスし続けることが重要です。義歯が合わなくなると咀嚼効率が著しく低下します。定期的な義歯の調整・リライン・新製の提案を積極的に行うことが、認知機能低下予防のリハビリとしての歯科の役割を担うことになります。
また、口腔機能低下症の診断・口腔機能向上加算の活用も見逃せない視点です。通所介護・通所リハビリテーション事業所において、言語聴覚士・歯科衛生士・看護職員が口腔機能改善管理指導計画を作成し、個別に口腔機能向上サービスを提供した場合に加算が算定できます。これにより、口腔リハビリの提供体制が制度的にも支持されています。
| 義歯状態 | 認知症発症リスク(歯20本以上と比較) |
|---|---|
| 歯が20本以上ある | 基準(1.0倍) |
| 歯がほとんどないが義歯を使用 | リスク抑制(4割低減の可能性) |
| 歯がほとんどなく義歯も不使用 | 1.9倍 |
東北大学・愛知医科大学ほか「歯を失って義歯を使わなければ認知症のリスクが最大1.9倍に」(プレスリリース)
ここまでに紹介した知識を、歯科従事者がどのように日常臨床に落とし込むか。これが現場での最大の課題です。実は、歯科の診察室は認知症の超早期発見の場としても機能しうるという独自の視点があります。
認知症はある日突然発症するのではなく、「軽度認知障害(MCI)」という段階を経て進行します。MCIの段階でリハビリや生活習慣の見直しを始めることが、認知機能低下予防において最も効果的です。歯科の定期検診に定期的に来院している患者さんは、数ヶ月単位でその変化を観察できる貴重な存在です。
「最近、義歯の扱い方が雑になった」「口腔清掃状態が急に悪化した」「同じことを繰り返し聞く」——こうした変化は認知機能の低下を示すサインである可能性があります。歯科従事者がそれに気づき、主治医への相談を促すことで、認知症の早期介入につなげることができます。
これは使えそうです。
さらに、「口腔コグニサイズ」という新しいアプローチも注目されています。コグニサイズとは「認知(Cognition)」と「運動(Exercise)」を組み合わせた国立長寿医療研究センター発の介入プログラムで、コグニサイズにより認知機能の低下抑制や脳萎縮の抑制が確認されています。これを口腔領域に応用した口腔コグニサイズは、パタカラ体操をしながら数を数える、舌の運動中に色の名前を言うなど、口腔機能訓練と認知課題を同時に行うアプローチです。
このような口腔リハビリは、歯科衛生士が主導して実施できる介入として非常に有望です。歯科医院の待合室や診察後の短時間に患者さんへ指導することで、認知機能低下予防への継続的なサポートが可能になります。
口腔の状態は全身の鏡と言われています。歯の本数・義歯の管理状態・歯周病のコントロール・口腔機能の維持——これらすべてが認知機能低下予防のリハビリという文脈でつながっています。歯科従事者がそのつながりを深く理解し、患者さんへ丁寧に伝えることができれば、歯科医院は「認知症予防の拠点」として地域社会の中でかけがえのない役割を担うことができます。
日本歯科医師会「オーラルフレイル対応マニュアル2020年版」(歯科従事者向け実践ガイド)

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