

内藤トウガラシは、江戸時代の宿場町「内藤新宿」で育てられた野菜のひとつとして伝えられ、当時流行したそばの薬味として人気が広がったとされます。
背景には、内藤家が拝領した広大な屋敷地(のちの新宿御苑周辺)と、そこでの栽培文化があり、地域の畑から江戸の食卓へ“運ばれる薬味”として定着していきました。
さらに、内藤新宿近郊の農家が換金しやすい作物として生産を増やし、秋には一帯が真っ赤に見えたという記述もあり、食材というより「風景としての唐辛子」が地域の記憶に刻まれた点が面白いところです。
参考(内藤トウガラシの歴史・復活の経緯)
内藤とうがらしプロジェクト公式:由来、江戸での普及、衰退と復活、江戸東京野菜認定の背景
内藤トウガラシは品種として「八房(やつぶさ)トウガラシ」で、房状に複数の実が付くのが特徴として紹介されています。
料理する人にとって重要なのは、辛さの強弱だけで選ぶのではなく、房付きで乾かしやすい形状、そして香辛料にしたときの“立ち上がる香り”を想定して扱うことです。
江戸期の記録では、内藤蕃椒(内藤とうがらし)として呼ばれ、七色唐辛子(七味唐辛子)など江戸の調味料文化の中で親しまれてきたとされ、薬味用途の相性の良さが歴史的にも裏付けられます。
参考(公的な解説:内藤トウガラシの位置づけ、史料での言及)
JA東京中央会:内藤トウガラシ(江戸東京野菜)解説と史料引用、利用法の概要
江戸ではそばが大流行し、ぶっかけそばの薬味として七味唐辛子が人気になり、その文脈で「そばに合うすっきりとした辛さ」として内藤トウガラシが食べられるようになった、というストーリーが語られています。
また史料紹介として、唐辛子売りの口上に「江戸は内藤新宿八つ房が焼き唐辛子」とうたわれた、とJAの解説にあり、単なる地野菜ではなく“薬味ブランド”として認知されていたことが読み取れます。
料理に落とし込むなら、七味を「かける」で終わらせず、内藤トウガラシを「焼く→刻む→香りを油に移す→仕上げに追いがけ」まで設計すると、辛味よりも香りが前に出て、野菜料理(焼き野菜、きんぴら、浅漬け)でも主役級に働きます。
家庭菜園や入手した生果を扱う場合、トウガラシ類は赤く熟した果実を収穫し、風通しのよい日陰で乾燥させる方法が基本として園芸情報で案内されています。
乾燥が不十分だと貯蔵中にカビが出るため、十分に乾かしてから保存する、という注意点も同じく示されています。
また、陰干しで乾燥させると色変化を抑えやすいという経験則も知られており、粉にして香辛料化する前提なら「色(見た目)と香り(品質)」を守る乾燥環境を優先すると失敗しにくくなります。
内藤トウガラシは歴史的に“薬味”として語られやすい一方で、野菜料理に組み込むときは「辛味を足す」より「香りの層を作る」意識が効きます。
具体的には、乾燥さやをいきなり粉にせず、まず弱火で軽く炙ってから密閉容器で粗く砕くと、仕上げに散らすだけで香りが立ち、塩・酢・味噌のような発酵系調味料とも繋がりやすくなります(七味の“香り”を前に出す発想です)。
さらに、野菜の水分が多い料理(炒め煮、浅漬け、蒸し野菜)では、最初から入れると香りが飛びやすいので「加熱の最後」か「火を止めてから」加えると、辛味よりも内藤トウガラシらしい存在感が残りやすく、薬味の格が一段上がります。
| 工程 | 狙い | コツ |
|---|---|---|
| 乾燥 | カビ防止・香り安定 | 風通しのよい日陰で十分乾かし、貯蔵中のカビを防ぐ。 |
| 炙り | 香ばしさを引き出す | 弱火で短時間、焦がさない(焦げは苦味の原因)。 |
| 仕上げ投入 | 香りを残す | 火を止めてから加えると薬味感が立ちやすい。 |